府 県 |
京都 |
朱印番号 |
C22 |
寺
社 名 |
常寂光寺 |
別称
etc |
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所
在
地 |
京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3 |
山
号 |
小倉山 |
参
拝
日 |
H27.11.15 |
宗
派 |
日蓮宗 |
主な札所 |
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御
本
尊 |
十界大曼荼羅 |
特記事項 |
JR山陰本線の嵯峨嵐山駅から西へ1.4km(京福嵐山線
の嵐山駅だと1.3km 阪急嵐山線の嵐山駅からだと北西
へ2.2km)の所にあります。拝観資料によると、開山は
究竟院日禛上人で、字は尊覚といい、権大納言広橋国
光の息男として永禄四年(1561)京都に生まれました。
幼少にして京都六条堀川の大本山本圀寺第十五世日栖
上人に師事し、わずか十八歳にして同寺第十六世の法
灯を嗣ぎました。宗学と歌道への造詣が深く、加藤清
正、三好吉房、小出秀政、小早川秀秋、瑞竜院日秀
(秀吉の実姉)、その他京都町衆の帰依者も多数であり
ました。文禄四年(1595)に豊臣秀吉が建立した東山方
広寺大仏殿の千僧供養への出仕・不出仕をめぐって、
京都の本山が二派に分裂したとき、上人は、不受不施
の宗制を守って、出仕に応ぜず、やがて本圀寺を出て
小倉山の地に隠栖し、常寂光寺を開創しました。当地
を隠棲地にえらんだのは、古くから歌枕の名勝として
名高く、俊成、定家、酉行などのゆかりの地であった
からと思われます。当時、小倉山一帯の土地は、高瀬
川開削で名高い角倉一族の所有であった。曰禛上人は
角倉了以の従兄である栄可から寺の敷地の寄進を受け
ています。山門前から見ると、庵のような質素な感じ
ですが、中に入ると立派な仁王門があり、境内も思い
のほか広く、秋には境内や小倉山一杯に紅葉燃え広が
り、圧巻の景色となっています。
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