府 県 |
兵庫 |
朱印番号 |
K10 |
寺
社 名 |
鶴林寺 |
別称
etc |
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所
在
地 |
兵庫県加古川市加古川町北在家424 |
山
号 |
刀田山 |
参
拝
日 |
H30.05.27 |
宗
派 |
天台宗 |
主な札所 |
新西国三十三箇所27番 |
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西国薬師四十九霊場22番 |
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関西花の寺二十五霊場9番 |
御
本
尊 |
薬師如来(重要文化財) |
特記事項 |
山陽電鉄の尾上の松駅から北東へ 1.2Kmの所にあ
ります。高句麗の僧・恵便法師が物部氏ら排仏派の
迫害を逃れて、この地(播磨)に身をかくしていま
した。聖徳太子は恵便法師を慕い、その教えをうけ
るため、この地に来て、 587年に秦川勝に命じて三
間四面の精舎を建立し、刀田山四天王寺聖霊院と名
付けました。これが鶴林寺のはじまりと伝えられて
います。その後、養老2年(718年)に武蔵国の大目
「身人部春則」が太子の遺徳を顕彰するため、七堂
伽藍を建立し、 さらに9世紀の初め慈覚大師円仁が
入唐の際に立ち寄り、薬師如来を刻して国家の安泰
を祈願しました。 天永3年(1112年)に鳥羽天皇から
勅額をいただき、以来「鶴林寺」と寺号を改め、勅
願所に定められました。鎌倉時代、室町時代と太子
信仰の高まりとともに、鶴林寺は全盛時代をむかえ
寺坊30数カ坊、寺領25.000石、 楽人数十名が常に
舞楽を奏していたと言われていましたが、戦国時代
にいたって、信長、秀吉らの弾圧、さらには江戸幕
府の厳しい宗教政策のため、衰徴せざるを得なくな
りました。今では『刀田の太子さん』『播磨の法隆
寺』と呼ばれ多くの人の信仰を集めています。本堂
・太子堂(国宝)や鐘楼・常行堂などの建造物や本尊
の薬師如来など多くの重文があります。又、沙羅・
菩提樹などの関西花の寺としても知られています。
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